布施で一番古い家「布施の後藤本家」から
樹齢150年「オオシマザクラ」の石碑が見つかる

 布施の後藤家は、布施村に止移して404年
毎年春に咲く「オオシマザクラ」は爽快である


布施後藤家に残る樹齢100年の「オオシマザクラ」

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布施村に止移して四百年(建物は江戸時代後期)

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玄関            母屋                              勝手口

 布施の後藤家の系図によれば、「元和元年(1615)大阪城落城後、布施村に止移す。是を布施後藤家の租とす」と記されている。
今から、およそ四百年前のこと。この後藤家に、名主をしていた又右衛門、善右衛門の名が見られる。

 現在の当主は、布施後藤家、初代、後藤駿河ノ守公則から数えて、歴代通算三十代目の後藤 敏で、家督名は、五代目又右衛門である。
古祖より、歴代通算四十二代目にあたる。初代は、家督名八郎で、北条早雲に従い下向し、定住するとある。

布施後藤家の略歴
・慶安二年(1649)後藤又衛門利廣生まれ、元禄十六年(1703)7月16日、54歳で死去
・延宝二寅(1674)年七月七日、後藤又衛門利廣願主二而、里人ヲ集メ藁二テ小社ヲ造リ弁財天ヲ祭ル
・貞享元年(1684)四月、仮御堂の竣工(江戸の願主古家与右衛門共同)
・享保元年(1716)布施弁天より目薬の製法を伝授される。以来81年間無料で配る
・天明二年(1782)後藤又右衛門光廣死去
・天明三年(1783)後藤善右衛門匡広死去
・天明七年(1787)以降、名主役を退く


「オオシマザクラ 」とは

 
オオシマザクラ(大島桜)とは、バラ科のサクラの一種。日本の固有種で、日本に10種類あるサクラ属基本野生種の一つである。
その利用から、タキギザクラ、モチザクラとも呼ばれている。

 花の時期は、ソメイヨシノとほぼ同じ頃。ソメイヨシノと違いは、花と一緒に葉も出るため、ソメイヨシノのような絢爛さはないが、
味わい深いサクラとして、親しまれている。


 高さは、15mに達する落葉高木。葉は長さ5cm〜10cm程度。先端が尖った倒卵形または楕円形で互生、細かい鋸歯を持つ。
晩秋に紅葉する。花期は春、3月から4月にかけて、葉の成長と共に茎の先端から数個の花をつける。花弁は、白色で大型の5弁、淡い芳香を持つ。
初夏にかけて結実し、十分に熟した果実は食用となる。丈夫で潮風にも強いことから、庭木や公園等の植林に用いられる。

 オオシマザクラは、さまざまな園芸品種を生み出したサクラとしても知られており、ソメイヨシノもそのひとつである。
このサクラには、クマリンという芳香成分が多く含まれ、その葉を塩漬けにしたものが桜餅などに使われる。 そのため、伊豆半島の松崎町では、
和菓子用の桜葉の生産が盛んで、葉っぱを収穫するための、桜畑があちこちで見られる。


特別天然記念物「大島のサクラ株」
 伊豆大島(東京都大島町)北東部の泉津地区の山中にある本種の株。樹齢は推定800年であり、幹の周囲は7mに達する。
主幹は高さ2mほどの部分を残して枯死しているが、数本の子株が立ち上がり、樹木を維持している。1935年12月24日、天然記念物指定。
また、1952年3月29日に、特別天然記念物に指定されている。

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大島サクラ株                     特別天然記念物大島サクラ株碑         

日本における生息地
 関東以南の島嶼海岸沿いから、山地にかけて多く生育する。特に伊豆大島の伊豆諸島に多く、和名の由来となっている。
伊豆半島、房総半島、三浦半島にも自生するが、製炭のため島嶼部から持ち込まれたものと言われている。


取材・編集
柏市富勢地域ふるさと協議会 総務部
柏市布施1196−5 布施近隣センター内